ショパンの音色は、なぜか深く・心地よく入り込みます。
あの音と音の間の余白は、
別の世界にいざなう、そんな感じがします。
品格って
こういう音楽や芸術に触れると、
ときどき、そう何気なく感じる
品格
っていう言葉が浮かんだりします。
ひとは、「ことば」を使いますよね。
ぼくは、そのことばは、
使うことで 自分自身を縛るもの
のような気がしています。
つまり、
使う言葉の強さや危うさ、
そのまま自分を縛るような。
そんな感覚。
そしてそれが、
その人の 品格 として
現れてくるような気もしています。
ぼやぼやと。
でも、
歳を経るごとに、その深みと重みが増してきています。
使うことば。
ぼくは、ふだん一人で仕事をしているので、
人と直接会話することはほとんどありません。
でも、Slack やメールではやり取りをします。
だから、
「ことば」は書く前に、
できるだけ選んでやらないとダメだな、と思うようになりました。
たぶん、この日記も。
むかしは、
荒々しい言葉を使っていました。
(感じやすいし傷つきやすいんです
はい、ごめんなさい。
でも、最近は、
すこし減ったような気がします。
たぶん。
でも、若い頃は
痒くなるとでちゃうんです。
わかります。
(今でもたまにポロッとでます、ごめんなさい
でも、
そういうことを重ねながら、
人を傷つけたりしながら、
気がついて、
自己嫌悪しながらも、少しだけ
成長していくんだと思います。
「縛り」とは。
ぼくは、なにごとにも、
いつも自信がありません。
自分では新しいことをやっているつもりでも、
いつも不安です。
「そんなこと、できるんだろうか?」
と。
小心者だと思います。
本当に。
だから、
「ことば」として、声にして、
震えながらも、
「100台同時シミュレーションやります!」
って言ったりします。
出来るかどうかわからないのにです。
ぼくは、
箱庭という途方もないものを作ろうと思ったときから、
ずっとそんなことをやってきました。
自分の実力は知っています。
「はい、最低」です。
でもね。
こういう世界を作りたい、
っていう、
そう、
目の奥にある風景だけはあるんです。
だから、
そこに行くための一歩、
最初の一歩はなんだろう?
そう、あのときは、
Unity を勉強することでした。
無意識にはたらく。
そういう小さなことを
積み重ねてきましたし。
そうやって出した「ことば」が
僕を育ててくれたような気もします。
今から思うと、ある意味、
「縛り」
のようなものだとも思います。
その「ことば」が自分を縛り、
そして導いてくれてきたような。
だから、「ことば」は、選ぼうと思うようになりました。
じぶんが何気なく使う言葉には、
ほんとうに「強い力」が働いてるような気がするのです。
シャガールの絵画展でみたあの目の奥。
20代の頃、
東京でシャガール展がありました。
その当時、
英会話学校で知り合った先生と一緒に、
その展示会に行きました。
シャガールの絵を見ながら、
ふと、ある一枚の絵にハッとしました。
そう、
緑の風景の中で
羊の世話をする女性の絵。
でも、その絵の全体に、
大きな 黒い目と瞼(まぶた) が見えるのです。
初めて見たときは、
すこし気味が悪く感じました。
その先生も、
「少しグロテスクに見えるね」
と言われていました。
でも、
ぼくはその絵に引き込まれました。
あー、これは。
シャガールが、
目の奥にある、自分のあの懐かしい風景 を
見ているんだな、と。勝手に。
あのころが、本当に、懐かしく。
無意識に使う言葉や、絵には。
ひとは、「ことば」という道具を持つことで、
自分自身を騙すこともできますし、
人を騙すこともできます。
さらに、自分を縛ることもできます。
でも、
本当の自分の奥にある無意識は、騙せません。
あの絵が、
ぼくにそう教えてくれたような気がします。
はなしは戻りますが、
ひとの品格って、
最初から綺麗にできるものじゃない。
たぶん、その人その人なりのサガと言いますか、
なにかドロドロとした沼の中で、
浸りきって、溺れながら、
自己嫌悪の中で、
一年に一度だけ、咲く、
あの蓮の花のようなもの
なのかもしれないなと。
なぜ、今日、ぼくがそんなことを書いているかというと、
「部屋が暗いからです。」
あしたは、自分のために
明かりをつけようと思います。
おしまい。

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