先週、神戸出張で、とあるイベントの帰り、牧野さん、岡田さんと、いつものように懇親会をしていました。
そのとき、牧野さんが、NotebookLMで資料書かせているっていう発言を聞いて、
「へー、そんなものか」
って思って、その場では、そのまま帰りました。
やってみた。
ちょっと、時間が空いたので、たまに触っているそのNotebookLMを覗いてみました。
ぼくの感想は、
「動画はまだちょっとイマイチ」
でもね。
音声解説は、
「マジ、ビビりました」
なぜかというと、GitHubのリポジトリをソースとして選択すると、AIさんが解説してくれるんですよ!!
しかも、かなり詳しい。
落ち込みました。
そして。
その音声解説、じつは、オプションがあるんですよ。

「詳細」、「概要」、「評価」、「議論」と。
デフォルトは「詳細」なんですが、気になって、「議論」をやってみました。
これがね、まったく客観的に、
・賛同者
・批判者
に分かれて、AIさんたちが、普通に議論するんですよ。
しかも、ちゃんと痛いところを突いてくる…。
なにがどうとは言いません。
でも、批判者の
・サンプルコードは少ないですね。
・新しいアーキテクチャは自己満足じゃない?ユーザメリットになるの?
・変に複雑にしすぎているんではないですか?
とかとか。
「ほっといてくれ!(笑・怒怒怒怒)」
(いやー、ぼかー、子供っぽいっすねーwww))
振り返ると、
……とは思いながら、言われていること自体は、 たぶん、そんなに的外れでもない。
いや、そのとおりですわ。
サンプルコードが少ないのも事実だし、
関心の分離でコンポーネント分割しているけど
それこそが複雑さを助長しているのでは?
っと。否定する気もない。
(でも、その議論に参加したくなるよね、おいちょっと待てやって!)
でもね。
それを「自己満足」と言われて..、開き直りますと、
「はい、そのとおりです!」
って思ってますよ。はい。(エンジニアの矜持です)
でもね。
いまの時点で
「将来、ここは絶対に破綻するだろう」
「さらに、これからAIがシミュレータの顧客なる」
っていう、ぼくが直感的に思っている未来を仮定して、
分散シミュレーションの課題を、いったん全部、表に出す。
その上で、
箱庭としては、こう考える。
こういう前提で、こう割り切る。
というところを、先にやっている。
誰からも求められていないのに。勝手にやっているだけ。
でも、そうした複雑な課題を扱っているから、当然、作るものも複雑な解になる。
(誰もまだ答え出してないからね)
だからといって、そこで作るものの「複雑さ」は、 放置しているわけじゃない。
ファイルシステムや、カーネル/RTOSといった領域で身につけてきた感覚を使って、
いかにシンプルに設計し、いかにシンプルに実装できるか。
結局、そこは、ぼくの責任だと思っている。
そして、これはもう、直感と、賭けです。
そう思った時、ふと、学生の頃に、卒論の研究発表時にいわれたご指摘が、
びびびーっと
伝達関数のように頭の中を走る。
「それは研究ではない、遊んでいるだけじゃないの?研究の態度ではない!」
っていう、ありがたいご指摘。その当時、ピュアだったぼくは、本当に傷ついた。
真面目にやっていたし、ふざけているつもりなんてこれっぽっちもなかった。
「なんでそんなこと言うの?」
って思ったりもしました。
いいんです。
そして、いま、52歳のぼくが出している結論は、
「だから?」
です。
新しいことをやるって。
たぶん、そういう批判を受けることを、
最初から織り込んだ上でやるものなんだと思います。
それでも、その先に、自分がみている光があるのなら。
がむしゃらに、乗り越えようって思えるかどうか。
結局、それだけなんだと思うんですよね。
おしまい。
あ、このブログ自体の批判的なご意見はこちらです。(怒)

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