もう25年も前の大昔のはなしです。
当時、モラトリアム真っ只中の大学生が永和システムマネジメントという会社の門を叩きました。
その当時、その会社は、福井県で唯一、OS/Unixの開発をしている会社でした。
あのとき、僕がやりたかったことは、ただ一つ。
研究室から飛び出して、企業の中で研究室で学んだことを実践したい。
OSを学びたかった。
じつは、学生の頃、OSとはまったく関係ない研究をしておりましたが、
ティーチングアシスタントのアルバイトをやっているときに、
ふと、こんな疑問が浮かびました。
「エクセルとかワードって、マウスでクリックすると、切り替わる。
CPU1個しかないのに、なんで?」
ってね。
そんな学生が、研究では食っていけないという壁に向き合って、
最終的に出した答えは、ずいぶん単純なものでした。
「仕事で、仕組みから理解できる。
そんなキモの座った会社で、OSを勉強しながら、何かやりたい」
それだけでした。
あまかった。
そんな僕が、最初に入った部署は、「金融事業部」という所でした。
「え?OSちゃうやん?!」
これ、社会勉強っすかね…って、若いながら思いました。
そこで学ばせていただいたのは、
貸借対照表とか、減価償却、
それらを統合的に管理するアプリ開発でした。
いやー、まじ、「??*」でした。
ソフトウェアテスト勉強してました。
でもね。
そんなアホな新人を指導してくれた人がいました。
その人は、わりとぼくを好き勝手に遊ばせてくれまして、
「こういうことを考えてみなさい」
と。
そして、ほったらかし。
で、ぼくは、自分なりに考えて、
「できましたー、こうじゃないっすかー」
って聞くと。
「ふふふ、脇が甘い」
って言われて、また振り出しに戻る。
そのときのテーマは、「ソフトウェアテスト」でした。
あの当時、その教育担当の方とたくさん議論しました。
いつも負け続けましたが…、でも、いつも褒めてくれたんですよね。
「森くんの考え方は面白い、
普段あまり見ない視点からくるから。」
って、いわれると嬉しくなりますよね。
塞翁が馬。
人って、「ここ行きたい!」って思って、進むけど、
たいていは、思うようにはいかないものですよね。
あの時は、まさにそう思いました。
でもね。
ぼくは、あのときの体験こそが、
本当の教育だったんじゃないかって、
いまになって思ったりします。
「決められたやり方を、ちゃんと学ぶ。」
それは、とても大事です(しみじみ)。
でも、そのやり方は、
「なぜそうなったの?」
「違うやり方じゃダメなの?」
もしかすると、
もっと、いいやり方もあるかもしれない。
教育って、正解を与えることではない。
その問いそのものを疑うこと。
そして、その問いが正しいのかどうかを考え、
そこから導かれる答えを、自分で理解すること。
そっちの方が、
何百倍も大事なんじゃないかって思うんです。
違和感の正体について
ぼくは、子供の頃から、そういうやつでして。面倒臭い子供でした。
小学校の頃は、授業より遊ぶことが好きで、
算数は1でしたね(そのやり方が気に食わんかった)。
いつも、違和感から始まるんです。
「こうなってます。」「このやり方でお願いします。」「こういう決まりです。」
ぜんぶ違和感から始まるんです。
「なぜ?」
とね。
その違和感の正体は、たぶん、
「それは、ぼくの直感にあわない。
ちょっと肌触りよくない」
そんな感じなんです。ほんとに、直感的に感じるやつです。
だから、考えちゃうんですよね。
「なぜ?」
ってね。
意味もわからず合わせたくないやつなんです。(あー、面倒臭いやつ)
おしまい。
今日は、箱庭の話はしません。
教育について、
生き方について、
考え方について、
思うところをツラツラと
思うままに書いてみました。
みなさんも、そんな感じありますかね。
ぼくは、たぶん、
100%そういうのしかないんですよねー。
あ、忘れてた。今日、箱庭ドローンシミュレータのv3.5.0をリリースしましたー(がんばった)。
(この動画は、箱庭ドローンショーケース。今回のリリースとは全然関係してないやつ)
おしまい。

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