🛠箱庭ラボ日記──2025年9月26日


6月から始めた箱庭ラボ日記、もう三ヶ月目に突入します。

「いや〜、まさか、ここまで続くとは」

唐突ですが、みなさん、「ジャックと豆の木」という物語をご存知でしょうか。

ぼくが、このブログであえて、「物語」を大切にしているか、少しだけお話ししたいと思います。

ジャックと豆の木

「ジャックと豆の木」は、

小さな豆を手に入れた少年が、
母に叱られながらも豆を蒔き、
やがて天まで届く木を登って
巨人の城にたどり着く

という物語です。

技術や科学が発展した現代において、
「物語に意味があるのか?」
と思われる方もいらっしゃるかもしれません。

答えのない問いについて

たとえば、大切な人が、不慮の事故で亡くなったとします。

残された人が、その現実に対して、医師に尋ねると、
「それは、心臓が停止し、脳の機能が停止したからです」
と客観的な答えがかえるかもしれません。

でも、残された人は、果たして、それで納得いくでしょうか。

たぶん、残された人が本当に求めるのは、そういうことではないと思うのです。
極端な例ではありますが。

物語の意味づけについて

世の中には、「ジャックと豆の木」だけでなく、いろんな物語があります。

それらの物語は、「なぜ語り継がれているのかな?」と思う時、
やっぱり、そこには、何かしら意味があるんだと思います。

世の中には理不尽なことが多々あると思います。
でも、それを客観的な事実に基づき、
ルールブックに従って生きる人生ってどうかな?
って思ったりします。

その人が、その答えのない問いに向き合った時に、
誰かの模範解答を自分の答えとして生きるだけの人生って
どうなんだろうって。

でも、何もなしにでは、迷います。

だから、僕は、世の中にある物語に意味が生まれるのではないか、と思うのです。
つまり、この問いに対して、こういう物語だと、こう解釈して、生きられる。とかです。

なので

物語は、答えのない問いに対して「解釈の道しるべ」になってくれる。
それは唯一絶対の正解ではありません。
でも、「自分はこの物語をこう読むから、こう生きてみよう」と思える。
その小さな指針が、人を前へ進ませてくれるのだと思います。

僕が箱庭ラボ日記で「物語」を大切にしているのも、まさにそこにあります。
技術や科学の事実だけを並べても、人生に意味は与えてくれない。
けれど物語にして語れば、誰かが「自分もその木を登ってみよう」と思ってくれるかもしれない。

ジャックと豆の木

ぼくは、7年前、「そう、あの頃は、目の前の仕事を作るために下手な営業やってました」。
でも、その時に、「箱庭」っていう妄想に出会ったしまったのです。
ぼくは、その時、「売れば金になる牛」を、何の役に立つかわからない「豆」と交換してしまったのです。

あのとき撒いた「豆」、今、どう育っているでしょうか。

未来は誰にもわかりません。でも、「物語」は救いになりませんか。

もしかすると、こうなるかもしれない。「だって、あの物語は・・・」と。

ぼくが登っている木の先に何があるのかは、まだわかりません。
けれど、「物語」を信じることで、登り続ける勇気が生まれます。
あの豆の木のように、「箱庭」という木もまた、どこまでも伸びていくのかもしれません。

おしまい。


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